あまりにも早すぎたおつうちゃんとのお別れ…何もしてやれなかったという悔いが心身を攻めますが、年初から進めていたNPO団体も、行政からの認証を得て登記等の大詰め段階を迎えて、いつまでも悲嘆に暮れてはいられませんから、意を決して高野山を目指すことに。
高野山は仏縁の無い頃に一度、そして金剛界と胎蔵界の結縁灌頂で訪れて以来ですが、毎月の東寺とは『濃さ』が違う…特に弘法さんが永遠の瞑想に入られた奥の院。
朝晩にはお坊さんが食事を捧げられる『生身供』法要の、その隅っこに紛れ込ませていただこうと…奈良の未開通区間以南は京奈和道タダですし、宿泊費は元から不要の車中泊、ウォシュレット付きの駐車場さえも不要ですから、西日に照らされた木立を抜け、大門横から中門・大塔から市街地を抜けて、墓地横の駐車場にて日暮れ…0時起床、朝まで休前日シフトの市場作業、そこからの弾丸ツアーですから疲労困憊でしたが、墓所抜けて一の橋渡って、奥の院裏手の拝所にて到着報告のお参り。
開けて早朝の『生身供』、参拝に訪れていた私含めた十数名は、お坊さんの計らいで外陣にあがらせていただきまして、堂内に響き渡るお経のシャワーを浴びる事が出来ました…前回もそうでしたが、弘法大師さんの粋な計らいで、今回も不可思議な体験が。
終盤の鎮護諸仏の真言パートにさしかかった終盤あたりで、輪廻の深い渦の中からひょいと魂をつまみ上げてくださったのでしょうか、そのとき確かに…いつものように太股にもたれかかってくる重さ・暖かさ、ふかふかの毛艶と体格・ボリューム感、目を閉じて真言唱えているのに、目に、体に、おつうちゃんを感じさせていただいて…合掌。